恐らく、このブログを観てらっしゃる方はブラスバンド出身の方もいらっしゃると思いますが。
こないだですね、まさにその旅の途中にですね、
夢を見ましたよ。
高校時の吹奏楽部で、指揮者にボロクソ言われているイヤ〜な夢を。
多分ね、旅の車中で聴いてしまった、この曲が原因なんですよ。
■シンフォニア・ノビリッシマ(ロバート・E・ジェイガー作曲)
シエナ・ウインドオーケストラ「ブラスの祭典3」に収録されており、それを知らずにそのまま掛けちゃって、当時のトラウマらしきものが夢の中で再現されちゃったわけです。
この曲、メチャクチャかっこいいんです。聴いてお分かりだと思うんですがね。
日本名にして「吹奏楽のための高貴なる楽章」っていうくらいですから、その格好良さがお分かりいただけるでしょうか?
ただ、題名にもあるとおり、高度な技術が必要とも取れるほど、多くの演奏者が譜面を観た際に「なんじゃこら!!」というほどのえげつなさをわたくしも感じました。しかも、当時のアドバイザーには、この曲を「練習曲」として渡されたもんだから、なまら驚いた!!
…コトの重大さがお分かりだろうか?
このアドバイザーさんは、事もあろうに吹奏楽コンクールでも演奏は困難を極めているこの曲に対し、練習曲と銘打って我々に打診したのである。
アホか!?と。
ま、当時はそんな事を言える権限もなかったわけで、担当のトランペットに至っては小刻みばっかりで何のデリカシーも感じられなかった、最低最悪の曲と言わざるを得なかった訳ですよ。
完璧な演奏を聴くまでは…ね。
勿論、この練習曲を、方や30数名の吹奏楽部で演奏できることは困難で、金管セッションリーダーを務めたものの、好い成果も得られず、その年のコンクールは予選敗退という無惨な結果に終わっております。
魘された理由も、強化合宿で「セッションリーダーなのに何やってんだ!?」っていう指揮者の罵倒が結構響いたから…でしょう。当時はタンギング(舌で音を切る技法)も上手く出来なかったため、このノビリッシマではど下手な醜態を顕わにしちゃったわけで、その後もボロクソだったわけです。そりゃあセッションリーダーですからね、それはだめでしょう。最低限ダブルタンギングは必要だったかな…と。
しかしながら、お手本となるCDとかを聴いたわけでもないので、この曲のイメージも解らないまま演奏していたのは事実です。当時、「のだめカンタービレ」のように、曲そのものの情景や作曲者の意向を知り、尚かつ音楽を楽しもうとする志向が、我々にあったとするならば、最低限最高の演奏が出来、後日魘されることもなかったと思います。ですから、こればかりはわたくしの過去における情け無さと言っても過言ではありません。
よく考えることがあります。
それは、青春時にもっと意欲的に生活していれば、人生も変わっていただろう…って。
人生をやり直したいと思うことはありますが、学生時の部活動はそれなりに好いこともありましたし、微妙です。
これを除けば、後は中学の2年目に創立初の金賞受賞、翌年も金賞という快挙、高校は3年目に県代表を獲得したっていう自慢と、波乱で楽しく好い想い出くらいです。
ただ、先ほど言っていた音楽に真剣に向き合うっていうことをすっぽかしていたことは事実。
今となってしまえば、遅すぎた事実で、こればかりはかなり猛省している日々でございます。
仕事をしていても活動できるって思うのですが、今の仕事は休みが変則的ですので断念せざるを得ませんでした。コンクールに仕事優先はよくある話なんですが、こればかりはコンクール優先したいですからね。
改めて、このシンフォニア・ノビリッシマを聴きますと、深く、偉大感が漂います。
やはりこの歳でないと解らないこともあるようです。
ただ、腑に落ちないことが一つ。
このジェイガー、この曲を作ったきっかけは婚約前の夫人に宛てたプロポーズともとれる曲だったそうで…
何だかのだめのミルヒーを思い出すんですがね。
一つだけ好い点を上げるとするならば、中間部のオーボエソロ。
当時でもオーボエなんて紅一点といかないところを、彼はそうさせたってところがスゴイです。
しかし、テンポの変わり様は演奏者によって泣きでございます。
ま、締めがカッコイイからいいんでしょうかね?全てが最後の数小節に示されてますからね。
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