同じ題名の記事を今年の2月に書かせて頂きました。
今回はそんな記事の第2弾。
人と人との価値観の違いを見極める、もう一つの観点というところから。
前回の記事では、「自分の意見を突き通す前に、周りの意見も吟味した上で行動にすべし」と格言付けております。
まぁ、拙ながらよくまぁ言ったものだと思います。
ただ、そんなわたくしでも、今週の「勝手にスイッチでどうでしょう」みたく、ただ単に電車が立て続けに遅れまくっている、その理由が人身事故や車内トラブルなど、人様に関係なく自己不満の理由だけで周囲に迷惑を掛けていることに対して、(乗客全員の憤懣を含め)久しぶりに憤懣して書きつづったところを、多くの方々に叱咤頂きました。
大変有り難いモノでしたが、あえて掲載しませんでした。
それは投稿されたご自身がお考え下さいませ。
わたくし共が今吟味して居る「なぜ×5」を繰り返してその行き着く答えに至るまで。
わたくしは、最近のコメントがそれに行き着かないのが、非常に辛いところだと感じています。
コメントですから、その人が感じたことをそのまま答えればそれでいいわけですが、ただ単に感情論になってしまったり、下手すれば傷つけるような言葉にも成りかねない。
それを十分に吟味した上で、コメントを頂きたい。
もう、このブログに書いてあるとおりです。
「冷静で状況に応じ、でも笑顔で乗り越えましょう!!」
正直、掲載されていないコメント陣は、冷静に記事を吟味していないに等しかったと論じ、掲載を見送りました。
ブログを投稿している側は、その日のコトを日記調に淡々と述べる日も多少ありましょう。
それに対し、持論を求める方は其の前に、まず書き手の気持ちになった上で、コメントを求めるべきではないかと思います。
それが無くなれば、変な「ツッコミ」は無くなるのではないかな?とわたくし自身はそう思ってます。
ツッコミたくてしょうがないんだけれども、抑え処はあるはずです。
それが、今の皆様には少し足りてないのかな?と。
注意喚起は良いことですが、その改善策を講じないでただ単に批判するのは、ガキの使いと同じですからね。
もうそろそろ、大人なコメントを求めたいモノです。
それ以前に、わたくしも大人なエントリーをしなきゃいけないな…と反省すべき点は多々あります。
そこが、わたくしの悪いクセ。
まぁ、ただ、その正当で納得のいく大人なコメントを頂いたところで、「あぁ〜、そ、そお〜ですよねぇ〜っ」と項垂れるに過ぎませんが、ひょっとしたら、そこである意味快感を覚えるかも知れません。
人それぞれに価値感があるというのは、そういう意味においては良い意味を持つと思います。
ただ単に批判するだけでなく、「わたしならこうする」などという持論が、その人(すなわちわたくし自身)に十分納得しえるくらいの論理であるのであれば。
少なくともわたくしは、このブログでそんな人々に出会っております。
インターネットはお互いの顔を見ずに話やコメントが出来る長所があり、それが欠点でもあります。
でも、それをも乗り上げてオンラインで人と向き合う時に、あなたはコメントした人と同じ会話で話が出来るでしょうか?
そこのところを考えた上で、絵空事とは絶対に考えないであなたなりの発言をなさって下さい。
絶対に、あなたに関して、生活上為になるはずです。
わたくしも、感情論にならないエントリーを書くよう、今後慎むつもりですから。ただ……